2018/11/20 ぼーっと生きている

ぼーっと生きています

なんというか、人生長いもので、この先老人になってから環境がいろいろ変わったら不幸なことがたくさんあるんじゃないかという漠然とした不安に、毎日心が落ち着かないのが人間というものだとは思うのですが。

いま自分の環境とかを客観的に、いや主観的に見ても幸せだな~楽しいな~と思うことが多くて、もう少し意識してそれを感じることによって

「あの頃あんなに幸せだったから、不幸が訪れることがあってもいいじゃないか」的な考え方になれないかな?と思ったりします。


人間としては、部分だけみるとね、日々起きる事件などで……例えば90代の老人が火事とか殺人事件とかで亡くなったと話を聞いた時など、「どんなに幸せな瞬間があったとしても最後がそんなんじゃ人生つらすぎる」とか、「病気で長いこと苦しんだり環境がよくなかったりして『つらいな~』と長く感じていたんだったら、すごくお金があったり家族に恵まれてたり毎日楽しかった時期があったとしても最終的にはつらい人生だな」とか考えちゃうんだけど、早くそんな考えをすてて……

どこかの時点でつらかったことも、楽しかったことも、つなげないで点として考えたなら……しごく当たり前のことである「今は今」で生きられるんじゃないのか?と。

さっきと逆に、すごくつらい気持ちだという人に向かって、「でも昔は○○だったんだから、いいじゃないか」とか考えちゃうこともあるでしょ。それもナシ。

Aだったことはよかった。

Bだったことはつらかった。

いまCであることは○○。

っていうその時その時の感想で生きていければね。不安なんかなくなるんだろうなあと。どの点が次に来るかなんて誰にも分らないんだし……

そうは言ってもなかなか未来を考えることをやめられないのが、学習能力がついた人間にもたらされた副作用であると思ってしまうのでした。

避けられるものを避けて、準備できるものを準備するということは、不安やよくない予想と向き合うという時間が必要なのであって……

自分がつらかった過去を分析して未来に繰り返さないようにするために傷を掘り返す時間でもあって……

いまが楽しいのも幸せなのもそういう作業の結果かもしれないと思うとね。なんかやっぱ解脱できなくて不安と分析を続けてしまうんだろうね。

あー。いっけない、解脱解脱 ミ☆