2019/02/13 不寛容な正義の人

昨日の日記はタイトルに書いたような人がさらに他罰的になって、
「あいつは懲らしめられても仕方のない、懲らしめられる理由がある人間だ」
と思いすぎちゃうのは良くないという話だったんだけど、

藤子・F・不二雄先生の「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」という短編はそういう人が主人公なんですよね。

 

こういう極端な人や状況が日常に入り込むとどうズレるかっていうお話が本当にすごいんだよなあ。まあ、つまりギャグだってことですよ。周りとズレている。やりすぎる。ということははたから見ると滑稽なわけです。

ウルトラ・スーパー・デラックスマンは、平凡なサラリーマンだけどまじめな性格で、世の中の悪を正したいと考えている 男が、ある日大きな力を手に入れて、その力を世のためひとのために使い、世界を良くしようとするお話なんですけどね。

なにかの理由で行動を正当化できる人は、悪さを正当化する力も持っているのだなあと。自分が手を汚してしまうのは、あいつがそうせざるを得ない悪だったから。

自分がいい思いをできるのは、悪を倒すのと引き換えの報酬だから。

些細なことだったら普段から私たちがやっていることなんだなあと思う。力がひとに影響を及ぼさない程度だったらいいんだけど、誰かに影響するほどの力があるひとが他罰的になるとおかしなことになってしまう。


短編なのでさくっと読めてしまうから、オチのネタバレも何もないけど、最後のシーンで「バチが当たったんだな」と思っちゃった場合は読者自身もギャグになってしまう……スカッとするのか? モヤっとするのか? ひとだけでなく、読むタイミングによっても変わりそう。


力をもった正義の人の極端な世直しと言えばデスノートとかもそうだよね。

自分が正しいと思ってる人にちからが渡った場合はそういうことになる。歴史の中でもそうなのかも。みんなわりと、「これは正しいことであり、多くの人のためになる」と考えているから極端な行動をとれるわけですよ。

いちいち「これはただしいのか?他方から見れば悪そのものではないか?少数を切り捨てるのか?犠牲を出すのか?」などと考えていたら何も物事は進まないのかもね。

まあ私は自分の人生ぐらいは、なにも物事が進まなくても犠牲や切り捨てを最小限にしていけたらな……と思ってますよ……そうはいってもいろんなものを下敷きにしなけりゃ立っていられないんだということも自覚しなくちゃね……あんまり考えすぎると病みそう、究極に、正義は「全員がしぬとやくそくして自分もしぬ」ことでしかかなえられないのかもな???

2019/02/12 ふてきせつどうが

「またそれのはなしね~」って感じなので、あんまり最近の「バイト従業員による不適切動画の公開」みたいなのを追ってなかったんだけど、くら寿司が従業員を訴えるって聞いて「エー」と思ったりはしたのでした。

「バイトテロ」は訴えても抑止できない、3つの理由 (1/6) – ITmedia ビジネスオンライン
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1902/12/news059.html

この記事の内容はほんとその通りだと思う。

コンサルされてる方だと思うのに無料で別の解決方法まで……

まあ、訴えるってのはある意味当たり前かもしれないし、感情としてはそりゃそうだ、訴えられてもしょうがない、そういうことも必要だ、そういうリスクを知ってまじめに・背筋を伸ばして善行を心がけなければいけない。……と思ってしまうのだけど、最近わたしはそこまで思わない。

悪いことをしたり、調子に乗りすぎたものが痛い目にあう・懲らしめられるってのは昔話でもよくあるはなしだし、戒めとして語られ続けていて、自分が自分の行動を律するのには役立つかもしれない。

でも、人の行動や実際の事件を見て、

「罰が与えられるのは当然のことだ。それが嫌なら最初からしなければいい。やりすぎだと言うヤツは自分にも後ろ暗いところがあるのか? まっとうに生きていればなにも怖がる理由は無いはずだ」

とまで考えるのは極端で行き過ぎている、ちょっと厳しすぎておかしいことだと自覚したほうがいいと思うんだよねえ。他罰的というか。私もそういうところがあるからよくないんだけど。

自分がまじめで、誰かになにか迷惑をかけられたときに「自分は正しいのに正しくない周囲の人間の行動によって嫌な思いをした」ってことにとらわれすぎちゃうと苦しいんじゃないかなって。だって他人は自分の思う通りにならないんだから、他人の行動をいちいち受け止めてたらつらいし、思う通りにならなかったときはひょいっと避けて自分にひっかぶらなければそれでいいやってぐらいの気持ちになったほうが……

上の話は「だから訴えるな」という話じゃないですけど、常に失敗を訴えて罰して正していく気持ちになっていると疲れちゃうよということかなあ。

大多数の人は「自分に関係ないし、できればこれからも関係ないところにいたい」と思うだろうし、そしたら関係ない場所にいるための判断として「ややこしそうなところには近づかない」という考え方につながっていくのではないだろうか……


途中で適切な言葉が見つからなくて検索とかしていたら考えがうまくまとまらなかった気がする。

 

 

2019/02/04 ネットでの不思議な気持ち

最近、某SNSでタイムラインを眺めていると思うことがあるのです。

(わかりづらくて申し訳ないが個々の単語やシステムや状況の説明ははしょらせていただく、SNSを普段やってる人向けって感じの愚痴です)

「女性の投稿だとたいして特筆するようなことが無くても反応しているように見える男性」の存在が、確実にあって、気になって……

ただ、私は一応女性なので、深読みしすぎてそう見えてるだけかもしれない。だからもう少し冷静な気持ちで書き出してみる。


1.女性の書き込みは別に普通で「○○って〇なんだ~」みたいなひとりごと。

2.それを男性が、自分のフォロワーにわかるようにシェアして、その内容についても言及する。

3.とくにシェアするほどの内容には思えない、ごく普通の内容に思える??

4.言及についても、直接本人にリプライするだけでいいのに、なぜそうしないのか?


まあ4についてはわかるんですよ。その人と会話したいわけじゃなくて、自分もそれを見て同じような内容でつぶやきたくなったときとか、急につぶやくと前後がわからなくてほかの人に誤解されちゃうとか、リプを送るほどのことでもないというか。

でもそれだったら、男女に関係なく、男の呟きにも同じようなことをするはずなんだけど、どうもシェアされてくるのが女性の呟きばっかり。私にとってはたいして面白くもない、知らない人の呟きである。「この人好きだなあ」「おもしろいなあ」と思った女性のことはフォローしていて、その人たちの日常の呟きももちろん楽しんでいるのに、普段を知らない女性のフツーの呟きにこんなに興味がないなんて。自分にびっくりした。


あ~~~~

「これはなんだろう、おっさんがやりがちな女の子をかまいたいっていうイヤなのが目に見えてることへの嫌悪感か? 私のほうが面白いことを言ってる(w)のにこの人が私に興味を持ってないってことへの嫉妬か!?」

っていう考察をしようと思ったんですけど、上の文章書いてたらちょっと思い当ってきた。私が「男がシェアしてくる知らない女性の日常の気持ち」みたいなのを面白いと思えないのは「あたりまえ、ふつう、刺激なし」ってことなのかも。それは私が女だからなのかも。男の呟きを男がシェアしないのは「同じだからそれ以上言うことねえよ」とか「はいはいいまさら、わざわざ」って刺激がないからなのかも。異性の気持ちはやっぱちょっと「そうなの?」ってひっかかるというか、目新しいところがあって、それが「へえ~」ってシェアボタンを押させるきっかけになって、でも同性には「あたりまえじゃない?」って思えるのかも……


まあ少しわかってきたような気がしますが、なんかあんまりにも頻繁で、別に嫌いでもなく普段見えなければなんてこともないし、もしかしたらたまには見たいかもしれない他の女性の呟きが、男性のちょっとざわついた心の見える言及とともに流れてくると、その男性のほかの部分には興味があるからフォローを外さないかわりに知らない女性の呟きがこれ以上回ってこないように女性のアカウントをブロックしてしまいそうな気持になります。いまんとこしてない。あまりに不愉快な話だったらブロックするけど、そういうんじゃないからなあ。

2019/02/04 タイツ

タイツが好きなんですよ。というか生足を出したくないので、年中タイツなんですが……

なんでタイツを穿いているかという理由が、あんまりおしゃれじゃないので残念なのですが、私はお店で試着ってのがほとんどできないというか、したくないんですね。でもパンツって試着しないで買えないじゃないですか。裾の長さもそうだし、ウエストが入るかもわかんないし、足を入れた時のかたちが履いてみないとわかんないって言う。だからスカートしか買わないんです。ベルトも持ってないし。

去年は久しぶりに試着をして買いました。ジーパン。平日のスーパーは店員さんもお客さんもまばらだったので心置きなく、ささっと……

でも裾の直しをしてもらうのはさらにできないので、作ってある長さから選ぶんです。別におしゃれでジーパンをはくのではなく、アウトドア活動(と言っても運動するわけではないがスカートはイマイチってぐらいの活動)のための購入ですから、それで十分なわけです。2000円しないものを買うわけだし……


で、肝心のタイツの話ですが、おしゃれなタイツ穿きたいな~って思うんです。好きなのは真っ黒で透けないけどちょっと工夫があるもの。織りかたとかそういうところで模様がついてるとさりげなくて、ほかのものとも合わせやすくてうれしいです。でも気に入るものと気に入らないものがもちろんあります。気に入っても値段が高いと買えません。1000円は超えないでほしい……というか本音を言えば700円以上だともう候補から外れる。うちのタイツは300円のものが一番多い。

「わ~かわいいタイツ」っておもって値段を見ると1500円オーバーがいつものパターン。

かわいいタイツにならそれぐらいお金を出してもいいんじゃないかって思うけど、あまりにも消耗品過ぎて躊躇してしまう。

毛玉ができる。破ける・穴が開く。けば立ってくる。

まあ洋服のメンテナンスをできないにんげんなので、タイツに限らず何でもかんでも「安いからいいか……」ってあきらめることによって、傷んだときに捨てやすくしているわけです。傷まないように大事に使うとかそういう手間はかけられない。

しかし靴下だってあんなに穴空かないですよってぐらい穴が開いてしまう。

靴もヒールがあるとやっぱりつま先に負担がかかるんだよね。あと靴の中で足がずれがちだと、足の裏の部分がすり減って穴が開いてしまう。


まあお気に入りのものは、毛玉が見えるところにたくさんできてるとかでなければ、穴が開いても「今日は靴を脱がないはずだ」って言うお出かけの時に使っていますよ。たまにどれがどれだったか忘れて「穴が!!!空いている!!!」ってなるときもある……けど……


タイツ、最近はセールとかワゴンももちろん見るけど、何気にリサイクルショップをチェックするようにしています。

リサイクルショップは古着とか古バッグが中心なんですけど、タイツやストッキングも普段1000円以上のものが300円とかで売ってるときがあるんですよ。もちろん中身は新品で、誰かが履いた後のものではないですよ。売れ残り、倒産引き上げ品、パッケージ破れ・型落ちなどだと思われます。

500円のが100円で買えてもそんなにいいタイツじゃなかったりするんですが、さすがに1000円越えのタイツやストッキングは半額ぐらいになってたら買いかなあと(もちろんデザインが気にいったものに限る)。

たまに立ち寄って、ストッキング・タイツコーナーに掘り出し物が無いかな~と探しています。

 

2019/01/31 わりといい出だしの1か月だったと思う

いやあ、、もう1月も終わりです

2月になったらぐんぐん春になるんでしょうね。なんかなんでか知らないけど2月にもう春を感じる私です。昔、長野から京都に移り住んだとき、「2月はすごく寒いから、まだまだこれから本格的な寒さがくるんだ」と京都の冬におびえていたのですが、結局のところ本当の寒さなどはやってこずに、春になってしまったのです……京都の冬は寒いと言いますが、そして確かに寒いのですが、長野に比べれば全然寒くなかった。ということで寒さには割合甘いのですよ。


今年も「1年間でこれをやりたいな~」みたいな目標をいくつか年初に立てました。

1か月たったので、12分の1が終わったわけですが、正直1月のやる気が今年の後半まで持つわけじゃないので、初めにどれだけダッシュできるかにかかっている気がします。後になってきて「全然やってないな」って思うと、もう取り返せなかったりして、一気にやる気を失ってしまう性格です。「あ これ今年の間にどんなに頑張っても天井見えたな」みたいに思ってしまうと、伸ばさなくなりがちというか……

だから「これは目標を超えてそのずっと先までいくんじゃね?」と思えるような進捗が一番いいわけですよ。


■新しいことに挑戦する

これは7つやりました。行ったことのない場所に行ったり、やったことのないことをやってみたり。1週間に1個以上ってことになりますし、なかなかいいペースです。

でも100個やりたいって思ってるので、週に2,3回やったなってときももっとないと厳しいですね。

■映画、本、アニメ

映画3本・本25冊、アニメ10本です。

ちょっとのんびりペース。去年よりはいいか。


■ここの日記ももっと増やしたい。

今回で18本目、前回までで17本・15993文字ってところです。

文字数は別に目安というか、たくさんにしたいと思っているわけではなくて、でも面白そうなのでひとまず記録しています。文字数増やすのに一所懸命になるとあんまりいいことありませんからね……


2月も頑張ります。っていうか1月の残り時間も頑張ります!

2019/01/29 映画 野火を観ながら思い出してたこと

前回映画を見たことについて書きました。

映画「野火」を観た – 藤村阿智の日記 ひぐらし BlackStrawberry_net
https://www.blackstrawberry.net/yoshida/?p=514

で、ぼーっと考えてたのですが、私の祖父もフィリピンに行ってたって聞いたことがあるなあ……と。

それも思って、感想の方に

個人的には、ここまで地獄のような世界を味わってる主人公が、このまま生きて帰って高度成長を支える普通の人間として生きているところが見られたとしたら一番ぞっとするというか、……実際にそうだったわけで、途中でそのことを考えていたわけですね。

と書いたのですが。

おじいちゃんフィリピンで何を見たんだろう。何があったのかな。どういう気持ちでその後の人生を過ごしていたのだろう。

その辺を語る語らない時は個人の気持ちを尊重したいし、思い出したくないという人もたくさんいるし、勝手に想像してもいかんと思うのですよ。(特に具体的な個人の体験を想像して「こうだったんじゃないかな」とかよくないよね)


事実としては、第二次世界大戦の「フィリピンの戦い」では53万以上の日本側の人間が現地に行き(現地におり)、約43万人が戦死したと。

フィリピンの戦い (1944-1945年) – Wikipedia

私の祖父はルソン島にいたというような話を聞いたことがある。何分小さい頃にちょっと聞いたことで、うーん、昔は「また戦争の話か~」って思った気もするけど、そんなに聞いた割りには何にも覚えていないな。

昔の話でしょ?って当時は思ったけど、80年代とかだとまだ終戦から35年~しか経ってなかったんだなって。いまから35年前のこと、まあ昔だけどわりと身近に考えられるから……そんなに昔話じゃなかったんだなって。いまさら思ったり。

ルソン島の戦い – Wikipedia

ルソン島だったとすると、25万人行って21万7千人亡くなったみたいだ。本当にそんなところから帰ってきたんだろうか。なんかすごいことのような気がする。他の島でも大体そんな感じの、敵も味方も、そこに暮らしていた人たちもたいへんな損害があったみたいだ……数は関係ないと思ってもやっぱり圧倒されてしまう。

今までちゃんと調べたことなかったから、映画を見たことは良かったのかもしれないな。祖父はもうずっと前に亡くなっていて、いまや話を聞くこともないわけですが、そんな場所から帰ってきた20代後半の青年がそのあと家庭を持って、わたしにもとっても優しくしてくれてたんだ……と思うんですよね。よく一緒に山仕事や畑仕事に行ったんだ。そういう時にも話してくれていたかもしれない。

フィリピンの島にそんなに詳しくない私が「ルソン島」って名前を昔から憶えていたんだからきっとその名前を祖父から聞いたのだろう。


で、祖父が話したフィリピン・戦争の話で覚えているものと言えば、

■いもは戦争の時にさんざん食べたのでもう食べたくない。
(畑で作っていたけど、さつまいもは食べてなかった)

■おじいちゃんは「戦争が終わった~!」っていって、フィリピンから海を泳いで日本に帰ってきたんだ。すごいだろう
(今考えれば無理だと思うが子どものころは「じいちゃんすごい!!」と信じていた)

……こんな話だけなのです……

2019/01/28 コントロールすること

前々から、他人をコントロールする気持ちは一番の悪いことだと思っていて、意識して自分が他人をコントロールしようとしていないか気を付けているのですが。

いやほんと、「こうなればあの人も幸せだからこうなってほしい」と意見するのもだめ。その人が望んでないなら。「幸せになりたいな~、どうすればいいのかな」って聞かれたら一緒に考えて言うのはいいけど、聞かれてもいないのに「こうすれば生活が改善する」とか「良くないことをやってるから改めたほうがいい」なんて余計な話だし、相手のためみたいに見えて自分の快楽の為ですよ。ほんとほんと。でも言いがちだし自分もやってたことが何度もあるから(相手にはこれがいいはず、間違ってないと思い込んでいるのがまた厄介)意識しないとね……


そんなことを再び語りたいのではなくて、こないだひとりカラオケで歌を歌ってたら思ったんですよ。

なんで人は歌をうたったり、スポーツをするのか。

それは快感を得たいからです、コントロールできるという快感。

思うんですけど、「自分の思い通りに動く」ってのは一番キモチイイことなんじゃないか。精神的にですよ。それが体にもいい作用をするでしょう。で、歌を歌う、スポーツをするなどはそれを得られる「体のコントロール方法」なわけですよ。

思ったとおり・想像したように何かを動かせるのは本当に気持ちいいわけです。しかも他人じゃなくて自分だから自分にしか関係ないことが多いから勝手にできて楽しい。ダンスとか楽器演奏とかもそうだと思う。

精神的にあんまり元気がない人は、そういう些細なコントロール欲を満たせるなにかをやるのがいいと思いますよ。逆にストレスが溜まってるな~って自覚のある人は、思い通りにならないものを遠ざけたほうがいいでしょうね。他人の存在とかもそうだし、自分の意思ですすまない仕事とか。


団体競技は自分の体をコントロールできるようになっても、他人の動きで思うような結果が得られないことがあると思うから(自分は調子よかったのにほかの人の動きが悪くて試合に負ける、とか)団体の中でも自分の動きに満足できるようなタイプの人じゃないとイライラしちゃいそうですね。監督業、指揮者なんかもイライラしそう。

あと、体が思うように動く~!っていう初期のスポーツや歌や芸術は楽しいんですけど、少しできるようになってきて「もっとうまくやりたい」と思った時、また新しい「思うようにできない」というレベルの高い悩みが出てしまうのが難しいところ。プロ級にこなせるようになりたいことがある人は、ほかの気軽に「わあ~できるできる、たっのし~!」って出来る趣味があったほうがいいですね。車の運転やゲームもそういうコントロールして楽しい・快感を味わえるものだと思いますのでそれもいいかも。

 

監督、指揮、団体競技は他人が思い通りにならなくてイライラすると言いましたが、むしろそこでバチっと合わせることができて他人も同時にコントロール出来てる気分になれれば、自分一人を何とかするよりすごーく気持ちいいわけですよ。合唱、合奏、チームでダンスとか。つまり自分の体を思う通りにするよりもさらに他人が思い通りになるというのはとってもきもちいいわけで。だから独裁者とか、まあほかにも社長とか、リーダーが生まれるんだと思いますが……人を動かすことに興味が無かったら成功しないでしょ……たぶん。

 

以前書いたブラックドウワ(ショートショート)にコントロール欲を満たすことでストレスを解消する話がありますよ。当時はそこまでコントロール欲のこと考えたことなかったけど、まさにこんな感じ。

ストレス解消球を手に入れた

 

私は自分の演奏じゃなくても、聴き慣れて展開がわかってる曲を聴くことでかなりコントロール欲が満たされるというかストレスが解消するので音楽を聴くのは好きです。同じように、過去になんども見た映像や漫画なども脳を休めてくれる感じ。初めて触れるものは元気なときじゃないと相当ストレスになってるな~って言う実感があります。

2019/01/28 タグの存在を忘れる

日記にはタグがつけられて、例えば同じ話題の時などにキーワードでまとめて読めるように、タグを設定しておけばあとで便利なんですが。

ココだけじゃなくてどこのサイトでも……前につけたタグがなんだったか忘れて、結局使いこなせないパターンばっかり。

日本語の揺らぎというか、ひらがなや漢字もちゃんと合わせないと別の文字列になってしまうので、余計にむつかしいです。

記事にピッタリのタグを以前作ってあっても、忘れてタグなしで投稿することが多いし。一応タグの候補みたいなのは表示されるのですが、全部じゃないので「ないな」と思って新しくつけてみたら全然違うものがあったり……

結局一記事に一タグあたらしいタグが設定されていく感じで、まとめて読めないじゃんかよってことになってます。カテゴリのほうがまだいいかな……でもカテゴリも多すぎてよくわかんないことになっている。

あとカテゴリの順番変えたり親子関係を調整したりしたいんだけど、いつもこうやって記事を書いてるときだけ考えていて、公開ボタンを押したら忘れてしまう。ほんまあかん。


また1月も終わりに近づいてきてしまいました。いろいろやることに余裕があったはずなのに、またもやギリギリになり始めているので頑張ります。

そうだな~2019年の目標は「前倒し」だな!!!

生き急ぎたいという気持ちもある。

 

2019/01/24 イメージするちからが弱いのかもな

これまた自己分析ですけど、絵とか描いたり妄想を小説にしたりする割りには、イメージするちからが弱いのかもしれないな~と思う私。

想像力はあると思うんだけど、細部がふんわりしてるので出力すると「こんなもんかな?」って感じに。うろ覚えの絵ってあるじゃないですか、あんな感じです。

「こうかな? これであってるのかな?」って自分でも疑問に思いながら出力してるからなんか細部が甘いイラストとかまんがとかになるんじゃないのか……


でも、以前よりはちゃんと下描きというか、ラフを描くようになりましたよ。下描きというのはペン入れ前の絵のことじゃなくて、企画というか計画というか。

「こういうのをかこう!」→「描いた」

っていうのが以前の流れですが、最近はもう少し

「こういうのをかこう!」→「もう少しここをこうしてみたら。ここにこれを盛り込んで……これは取ろう」→「描いた」

って感じで、描く前に考えている。なんかすごくあたりまえのことのような気がしますけど、いきなり描きがちで……


もう一個気を付けたいのは、大作傾向になってしまうこと。大作とか手の込んだものを作ろうと思いすぎて、全然完成しないってこともあるから。

大作を作るならそれこそ細部を練って、気がのらない時も進められる部分を作ったり、少しずつ発表できるようにして、「いつまでも新作ができない」って言うのは避けたい……長く時間がかかると、最初の方に作ったところが「今とだいぶ違うなあ」って感じになるのも好きじゃないし。その時の実力をがーんっと出し切って勢いみたいなのも込めたいなと。

まあとにかく何でもいいから作れってことです……今年はもういろいろ作らなくちゃって感じになっていますよ……

2019/01/23 好きを再確認したい

絵を描いたり文章を書いたりって言うのは自己表現だと思うのですが、その自己をわかっているともっともっとよくなるんじゃないかと思うんですよね。

なんとなく、感覚的に、どうしてもにじみ出てしまう「好き」とか「いい」ってのを作品にのせてはいるんだろうけど、もっと意図的に好きなものやいいと思ってるものを表現すれば、少なくとも自分は好きになるだろうし、同じものを好きな人に「私もこれがすきだ」と言ってもらえるかもしれないじゃないですか。

意図的にのせていこうと思ったら、深層心理に近いところまで、見えている部分は少なくとも理解して「これがこういう理由で、こういうところが好きです」と説明できるようになってないと誰かに伝えることもできない。

私はどうもちゃんと好きなものを分析して分解して言葉にしたことが少ないんじゃないのか。

もちろん文房具とか漫画とか、使ったり読んだりして「これはここが、ほかのものと違ってて、好きなのだ」というものを見つけ出して同人誌やブログ記事にしてきましたよ。でももっともっと、感覚で好きなもの、だれからもまだ聞かれてない・説明したことのない好きなものの「なんとなく好き」を、ちゃんと考えていきたい。

特にデザイン方面を中心にやっていきたい。雑貨とか、文房具でも装丁でも、好きだなあって思うものの傾向はありそうだけどまだ言語化できない。「こういう理由でいいと思ってるんだな」「ココがこうなってるのがいいんだな」みたいなのを分解して、自分の作品にものっけていきたい。パクりたいというか、まあ……パクりたいんだけど、アイディアとか絵柄とかそういうんじゃなくて「この組み合わせがいいのか」「この色だったんだな」「ココにこういう模様があって素敵なんだな」とかそういうところ。

デザインに限らず、作品とかでも好きなものについて「こうだから好きです」って言うのを考えて、ここででも紹介していこうと思います。