2019/01/29 映画 野火を観ながら思い出してたこと

前回映画を見たことについて書きました。

映画「野火」を観た – 藤村阿智の日記 ひぐらし BlackStrawberry_net
https://www.blackstrawberry.net/yoshida/?p=514

で、ぼーっと考えてたのですが、私の祖父もフィリピンに行ってたって聞いたことがあるなあ……と。

それも思って、感想の方に

個人的には、ここまで地獄のような世界を味わってる主人公が、このまま生きて帰って高度成長を支える普通の人間として生きているところが見られたとしたら一番ぞっとするというか、……実際にそうだったわけで、途中でそのことを考えていたわけですね。

と書いたのですが。

おじいちゃんフィリピンで何を見たんだろう。何があったのかな。どういう気持ちでその後の人生を過ごしていたのだろう。

その辺を語る語らない時は個人の気持ちを尊重したいし、思い出したくないという人もたくさんいるし、勝手に想像してもいかんと思うのですよ。(特に具体的な個人の体験を想像して「こうだったんじゃないかな」とかよくないよね)


事実としては、第二次世界大戦の「フィリピンの戦い」では53万以上の日本側の人間が現地に行き(現地におり)、約43万人が戦死したと。

フィリピンの戦い (1944-1945年) – Wikipedia

私の祖父はルソン島にいたというような話を聞いたことがある。何分小さい頃にちょっと聞いたことで、うーん、昔は「また戦争の話か~」って思った気もするけど、そんなに聞いた割りには何にも覚えていないな。

昔の話でしょ?って当時は思ったけど、80年代とかだとまだ終戦から35年~しか経ってなかったんだなって。いまから35年前のこと、まあ昔だけどわりと身近に考えられるから……そんなに昔話じゃなかったんだなって。いまさら思ったり。

ルソン島の戦い – Wikipedia

ルソン島だったとすると、25万人行って21万7千人亡くなったみたいだ。本当にそんなところから帰ってきたんだろうか。なんかすごいことのような気がする。他の島でも大体そんな感じの、敵も味方も、そこに暮らしていた人たちもたいへんな損害があったみたいだ……数は関係ないと思ってもやっぱり圧倒されてしまう。

今までちゃんと調べたことなかったから、映画を見たことは良かったのかもしれないな。祖父はもうずっと前に亡くなっていて、いまや話を聞くこともないわけですが、そんな場所から帰ってきた20代後半の青年がそのあと家庭を持って、わたしにもとっても優しくしてくれてたんだ……と思うんですよね。よく一緒に山仕事や畑仕事に行ったんだ。そういう時にも話してくれていたかもしれない。

フィリピンの島にそんなに詳しくない私が「ルソン島」って名前を昔から憶えていたんだからきっとその名前を祖父から聞いたのだろう。


で、祖父が話したフィリピン・戦争の話で覚えているものと言えば、

■いもは戦争の時にさんざん食べたのでもう食べたくない。
(畑で作っていたけど、さつまいもは食べてなかった)

■おじいちゃんは「戦争が終わった~!」っていって、フィリピンから海を泳いで日本に帰ってきたんだ。すごいだろう
(今考えれば無理だと思うが子どものころは「じいちゃんすごい!!」と信じていた)

……こんな話だけなのです……

2018/2/13_オリンピック見てる

サッカーとか野球とか、年中やってるスポーツ(イメージ)の中継はあまり見ていないのですが、オリンピックとか世界大会とか言われるとなんとなく見ちゃいます。

マラソンとかもテレビついててチャンネルあわせてあったら見ちゃうなあ。

で、いまはオリンピックをやってますし、普段よく見ているNHKの番組が結構オリンピック特番に代わってたりして、なんとなくオリンピックを見ています。

冬季のスポーツは、ほとんどやったことのないスポーツばかりなので、本当に見てるだけになってしまいますけど。唯一スピードスケートだけやったことがある。

小学生の時、冬の体育の授業は基本的にスケートだったんだから、6年間で結構な時間やったと思いますよ。あれは過酷なスポーツで、しかもプロじゃなくて小学生がやるってなると余計に環境が過酷。

外に張ってあった水が氷るほどの寒さの中で運動するんですよ……私はスピードスケートについては本当にいろいろつらい思い出があって……うううう

■まず、スケート靴がはけない。紐の靴だから、蝶結びをマスターしてないとダメ。あと、思いっきりひもをぎゅっと引っ張って、しっかり足に固定しないとぐらついて刃に乗れないから、ちからがいるんだけど小学生女子ですよ……そして氷点下で手がかじかんでる、または手袋をしているんです。

■上記のような状態でなんとか履いた靴はぐらぐらしていて、ほぼ足にフィットしていない状態で、細い刃の上に乗らなくちゃいけない。無理。

■スケート靴が高い。成長期で足のサイズが変わるから、毎年買い替えなくちゃだけど数万する。

ちょっと検索してみたけど、いまでも1万切ることはないですね。だいたい1万5千か。

で、大きめの靴を買って、つま先に綿などを詰めて履くわけです……無理ですよそれでスケートやるの……

■大会は湖でやる

新海誠さんの「雲のむこう、約束の場所」という映画がありまして、そこに湖でスケート滑ってるシーンが出てくるんですね。あれ大月湖ですよ!!私も大会で滑ったことのある大月湖ですよ!!!多分新海さんも大月湖で滑ってますよ!!(ち、違うかな……と弱気に) 松原湖系なので広義では松原湖と言われてるかもしれないけど私が子どものころは大月湖って呼んでました!amazonビデオにある予告編でも見られますよそのシーンは!! 舞台がたしか青森だから青森のどっかの湖なのかもしれないな……

で、寒いんですよ。自分が滑るときじゃなくても、選手の応援でも行きました。選手は湖岸に置かれたコタツ(屋外だけどコタツが設置される)に入れるんですけど、応援は入れませんよ。みんなたんまりカイロを持っていくわけです……さむいさむいスケートはさむいおもいでばかり……

■先生の嫌がらせで嫌な思いばかりした

先生に嫌がらせをされていて、校内でのスケート大会で体格のいい男子と組みになるように言われてその通りコンビを組んだんですけど、タイヤに相方を乗せて引っ張る競争なので、相手がわたしを引っ張る分にはいいけど、帰りは交代しなくちゃいけないのでまったく動かないのです……スケート履いて、自分より重いヒトを乗せたタイヤを引っ張るんですよ……わたしは「前へならえ」で一番前で腰に手を当ててるタイプのちっこい小学生なんですよ。

なんですかこの競技。で、びりだったんですけど、だれも疑問を持たないのか!そして相方の彼ごめんね!

■まあ、それでもある程度滑ることができるんですけど

スケートやろうと、都会のスケートリンクに行ったとしますよね。借りられる靴はフィギュアスケートの靴です。私はスピードスケートしかやったことがありません、フィギュアスケートの靴とスピードスケートの靴は全然違うし、体重のかけ方も違います……ほらスピードスケートは腰を落として前に体重をかけてスピード出して進むでしょ。フィギュアはまっすぐ立って真ん中に重心を保たないと倒れちゃう。

まあ、スピードスケートはスピードが出て危ないし、こまわりも効かないので都会の遊び用のスケートリンクで滑るわけがない!のです!

氷の上に乗ると無意識に前に体重をかけてしまう。だから、経験者なのにフィギュアスケートの靴を履くと初心者以下なのです!!


キツイ思い出わかってもらえるでしょうか。

フィギュアを見てもスピードを見てもそんなことばかり思い出してしまう。

というか今日は別のこと書こうと思ってたのにスケートのことで長くなりすぎた。別の件はまた今度。