映画「風をつかまえた少年」見てきた(ネタバレ?あり)

2001年ごろのアフリカ、マラウイが舞台のお話。

お金に余裕はない中でも教育が大事だと思ってくれている両親が、主人公の少年・ウィリアムを学校に通わせてくれていたが、干ばつと飢饉で食べるものもなくなってしまい、学校は授業料が支払えず退学。そのうち学校自体が閉鎖することになってしまったり、食べ物を略奪されたり……と次々襲う困難の中、ウィリアムは図書館で読んだ本の知識を使って風車を立て、風力発電で得たエネルギーで村の畑に水をもたらすのであった……

困難はあるけど人々は苦しい中でも懸命に生活していた。希望を見失うこともあったけど、最終的には勉強と行動が成功に導いたね。
誰かがしぬとかかわいそうな目にあうとかじゃなくて、うまくいったシーンで泣いてしまう映画だった。


基本的に実話がベースなんだけど、ネットで調べてみたら結構違うみたいですね。

映画の最後に実際の人物の写真やその後が出てきていたので、忠実に書かれてるのかと思った。

風車で得たエネルギーは水を引くためじゃなくて照明に使った(水も引いたのかも・干ばつと飢饉と学校の退学は実際に起きた話のようだ)みたいで、ウィリアムも3人きょうだいとして描かれていたけど7人きょうだいの中の唯一の男児だって紹介されていて、だいぶ事情が違いそうだなって。まあきょうだいそんなにいると映画がにぎやかになりすぎるからね……


あと、公式サイトでキャストを見ていたら、みごとにほとんどの人の国籍がばらばら。アフリカの人、イギリスの人、フランスの人。

映画は基本的に英語だった。アフリカっぽい英語。主人公の少年もケニアの人だって。でも私は今年勉強していて、知っているんだ。アフリカといえど広い。こんなに違う国の人が集まって、どうやって映画を撮るんだろう。不思議だ。

わたしには英語とかアフリカの言葉がなじみがないから、発音とかは違和感ないのだろうか?ということがわからない。

「この世界の片隅に」の映画だって、呉の言葉・広島の言葉ってだけでも発音や言い回しが違うということを細かくやっていた。日本の中の、しかも同じ県でもそれだ。ぜったいマラウイなまりの英語ってあるだろう。

たとえば中国の人が映画を作ろうとして、キャストのイメージに合ってるからって日本人とか韓国人とか、モンゴル人とか近隣のアジア人を集めて作るだろうか。それぐらいのことだと思うんだよね~。

うーむむつかしい。
まあそんなことを考えずに映画を楽しむが良いと思います。


風をつかまえた少年公式サイト

 

2019/10/15 もう10月、半分過ぎた

タイトルの通りですよ。……あー

おかしいなあ先週まで上旬だった気がするのに、三連休があっというまに過ぎた今日はもう15日で、10月が半分過ぎたのです。

前半にやっておけば後半楽だ。というもののほとんどがすすんでいません。

いろいろやったんだけどなあ。どれも中途半端な進み具合で、最近の傾向である「やり始めて見たが進んでいない・続きをやるにはどこまでやったかをまず確認する作業が必要なので続きをはじめるまでに時間がかかる」というのがたーーーーーーーーーくさんになってしまいました。

「手を付けないからやらないのだ。手を付ければ、やるのだ」というのは確かにその通りで、私も「やり始めたらどんどんやったぞ」ということはよくあります。しかしこういう「やりちらかしてるけどどれも完成していない。完成してなくて発表していないものなんて、やってないのとおなじ」って言う状態になりますよねえ。

いろいろ作らないと、手に取ってもらうものもないわけですよ。

「こんなのつくりたいなあ~むふふ、でもそれにはあれとあれが必要で、しかしいまはそれより優先すべきことはこっちで、やらずにいると大変なことになるんじゃないか……」みたいなことをぐるぐる考えているうちに時間が過ぎて行ってしまう。


対策として、いままでもやってきたように「ToDoを細かく決める」「長期的なやりたいことを細かく描きだしておいて、忘れずに、手を付けられるものからどんどん進めるようにする」などやっているのですが効き目が薄い。数か月着手しただけで完成しないものが残って行ってしまい、とにかくストレス。毎日毎日落ち込んでしまう。


スパッと完成させるものをいくつか完成させて、「やったぞ。次もやろう」って言う気持ちにならなくちゃこの落ち込みが回復しないんだけど、「これならすぐかんせいするんじゃないか」と始めたことに意外と「どうせやるんだったら凝りたい……」と思ってしまい、「でもそんなに凝ってる時間がないからあとで……」「こないだやりかけたあれ、どういう仕様でやるつもりでなにがたりなかったんだっけな……」「なにもわからない……」

みたいなののループになってるわけですよ。

抜け出したい……