google map を見る

Google Mapはことあるごとに見ているわけですが。

私にとっては海外のことを知る窓のようなものです。しかも、本よりもテレビよりも私に私が知りたいようなイメージを伝えてくれる。

ストリートビュー散歩の方でもちょくちょく言っていますが、とにかくいまのGoogleMapのいいところは、作為がないところ。まあゼロではないんですけど。カメラが通った道しか見られないというのはしょうがないところだし。

でも、人間が撮ったものは基本的に「アレを撮ろう」と意思が介在するんですよね、だからこそ写真にも著作権が生まれるわけですし。(ストリートビューに著作権が無いと言っているわけではないです)グーグルカーが通りすがりながら、特に何かにカメラを向けたわけでもないのに映り込んでいるものを見ることで、普段のその場所が見られるという特異な写真になっていると思うのですよ……そしてそこに一番興味を持っている。


海外の、それまで知らなかった場所が急に身近に思えてくるのがストリートビューです。なんとなく、断片的に知った情報から「思い込んでた」ことっていっぱいあるんだなあと、実際にストリートビューを見ていて感じることが多いです。「ここってこんな風なんだ」と驚くということは、まったく知らなかったか、なんか誤解してたかってことだと思っていて。

「ここってこんなにビルばっかりで、日本の繁華街と同じようなブランドのショップが並んでいるんだな」とか、「道が狭いんだなあ」「おもってたより範囲が狭いぞ!?」などなど。


ストリートビューのまだ通ってない国もいっぱいあるわけですよ。

中東とアフリカはまだまだ。あと、そういう風にいろんな国を見て回っていると、同じ地域でも国によってガラっと変わることが分かったから、「この辺はこういう景色だな」って思っても、隣の国は全然そんな感じじゃないということがありそうなので、ぜひあちこち、津々浦々を見たい。


昨日はパキスタンの地図を見ていたのです。投稿写真はあるけど、ストリートビューはほとんどない。一部観光地とかは見て回れるけど、本当に少しだけ。

最近はこういう地図の楽しみ方もだんだんわかってきたんです……

地図をアップにすると、お店とかホテルとかの名前が出ますね?
クリックすると、そこの情報が出ますよね!?
これすごいなって思ったんですよ。いや、知ったところでそこに行くわけじゃない。日本の地図ではその情報は普通に利用していますが。主に公式サイトへのリンクを活用しています。Facebookページや食べログのページだったりするけどそれでもいい。

で、例えばパキスタンで、どこかの「スーパーマーケット」っていうお店の名前とかをクリックしますよね。そこに「現在営業中」とか「店休日」とか出てくるわけですよ。もうこれだけですごい興奮する。実在するお店が、いま、時差も乗り越えて営業してるかどうかがわかる!!中には「この時間は混み合っています」みたいな情報もあったりして、「そうか!この辺はこの時間混み合うのか!」と想像が膨らむし、口コミで「○○は新鮮で品ぞろえが豊富」みたいに書いてあるとさらに興奮する。

やっぱり私はそこに生活している人の様子を想像するのが好きなんだ。そのために、googlemapが淡々と伝えてくれる情報は、距離を一気に縮めて、私の想像力の助けになってくれている。気がする。

今後も淡々と情報を得て淡々と想像するぞ。

2019/05/29 ああ5月終わる

5月が~!!

5月は、ほら4月の目標達成度が悪かったせいで、月初に4月に立てた目標よりも高い目標を建てちゃったんですよ。そのせいで結局5月も目標達成度は低そうな感じに。いくつか達成できてるっぽいので、それはそれで無理目な目標立てといてよかったと思うんですけど。

とりあえず「ブログを35本更新する」ってのは無理でしたね。いや、昨日までで21本、これが22本なんでまだあと3日でガンガン更新すれば……でもそうまでして達成するものでもないし、まあ書くことがあったら書くよ……という感じです。ほかの目標もあるわけだし。

仕事はできた。普段「たくさんの時間働いたな」って思う1か月の仕事時間の1.5倍を目標にしてたのですが、超えたと思います。時間を働いたからってお給料が増える仕事じゃないので、時給換算が減っていくだけなのですが、きっと後で返ってくるとおもって……頑張ります……ここ数年効率が良くなったのか何なのか、仕事の時間がどんどん短くなってまして。収入は下がってはいないんだけど上がってもいない。上げるためにはもっと仕事時間を増やすべきなんじゃないか、とそう思ったわけです。


本を読む、アニメを見る、映画を見るあたりもいい感じです。

体重を減らしたかったのですがそれはまた無理でした。最近高止まりしている。運動量も増やしているつもりだがまだまだ追いついていないのか……筋肉を増やさなくちゃなんだろうなあ。負荷がかかるほど運動してないからな。カロリーを減らそうと心がけてはいるんだけど。

また6月頭にでもなったら、目標立てつつ5月の成績を振り返りたいと思います!

2019/05/28 進撃の巨人読み返している

最近この話を良く書いているけど。
いろいろ思いながら読んでいるのでメモ的なものです。

巨人相手だからなんか気持ち悪いな~って思ってる人も多いと思うんだけど、まあその辺の「違和感」は狙われたものだから正しい反応(良いほうにも悪いほうにも心に引っかかるものがあると思う)

内容としては、つまり「ロボットもの」なんだよな~と言うきがしている。

巨人という、見た目がロボじゃないけど、ロボ的に操縦できるものにのった少年少女の戦い(たまにはおっさんの戦い)ってことで。敵も同じようなロボ的なものを操ってくると。で、操り方や戦略を練って戦う。ほーらロボット。巨人のことをロボットだと思ったらもう怖くないね。

人はしぬ。でもそれは戦争ものを描いたら仕方ないというか……

ガンダムだって乗ったものがロボットだけど、人は死んでいくし、戦争だし、最終的にはロボットすてて生身で殴り合ってたような気がするし……(一回しか見れていない)


そういえば前にガンダムの富野さんは進撃の巨人の批判をしていたね。

探してみたらこれかな……

機動戦士ガンダム監督が「進撃の巨人」コキ下す 「絶対に読みたくないし、評価もしたくない」
https://www.j-cast.com/2013/12/04190834.html

J-CASTですいませんけど、、まあ2013年の話だから今はどうなってるかね。

私が見た記事では「まず母親が主人公の前でしぬのがいけない」みたいなことも言ってた気がしたけど。
親の喪失っていうのは物語が始まるきっかけのひとつとして定番だからそんなに気にならないかな。というか、それぐらいのことが無ければその後の行動に説得力が出ないというか。

まあ近刊まで読み進めると、果たして親の喪失は少年を突き動かす原動力として今も存在しているのかはあやしい。読者も主人公も「そういうもんだ」と騙されていたかもしれない。

 

2019/05/28 同人誌の発注した

夏コミ合わせの同人誌の印刷発注しました。

まだ夏コミに受かったのかもわかんないですけど。
当選してなかった場合売る場所がない。という。

でも2か月前から発注できるので、早めにしておかないとどんどん埋まっちゃうんですよ。当落がわかったらバッと皆さん発注するだろうし……世の中にはイベントに出ることが決まったら本を作る人がいっぱいいるんですよ、というか大体そうか。私みたいに「どこかで細々売っていこう」みたいな人間はあんまりいないのだろう。

いつもの文房具本を作ります。今回もまた心をあらたに、新しい本を作るつもりで、「いつものであっていつものじゃない」新刊にしていきたいですよ。テンプレートに当てはめるだけじゃない何かを出していければ……


それとは別に、少部数でもいいので、企画を立てて絵を描いて絵本のようなものも作りたい。素敵な、所有したくなるような本……とはいっても少部数でも自分で作るんじゃなければあんまり仕様は遊べないかな。私の場合どうしても利益から本づくりを考えてしまう。だから大きなことができないんだけど、今のところたいした失敗もしていないので自分の慎重さに助かっている。

2019/5/27 洋服を捨てる

衣替えってこともあるし、そろそろ本格的に暑くなってきたので冬ものを段階的にしまっている。もう結構前に、セーターとかもこもこした厚手のものは「冬まで必要なさそうだ」と思って、洗濯したものから順次片付けていた。

今も残っているのは、スウェットとか、カットソーとか、そんなようなもの。30度も超えているとさすがに出番が無くなってくる。とにかく、透けない程度に薄い服が着たいこのごろ。


そのついでに、とうとう冬の間に出番のなかった服を捨てることにした。

今日捨てたのは

・黒い、パニエ的にも使えてたマイクロミニのキュロット
・着心地が悪いなあと思いつつもなんだかんだ15年ぐらい着てしまった冬用のトップス

上のはなあ。その年齢には合わないだろ、って時期から着はじめて(私はフリフリの服を着たくなったのが30代以降なのだ……)、会社を辞めるまでは便利に着ていたが、最近は出番が無くなっていたし、とうとう数年履いてないし、これからももうはかないだろうなあと思って。最近あんまりスカートを拡げたい欲もないし。

年齢に合わない服、とか気にしないんですけど、年齢は気にしなくても年を取ってきて外見が変わってるわけですよ。そうすると、年齢に合わないというよりわたしと言う人間に似合わなくなってきているというか。そうなったらもう着ないですよ。自分でも「なんかこれおかしいな~」と思ったら着ないです。それでも着たい服は着ますよ。「これを着ているとなんか気分が上がる」とか。たとえそれが「年齢には」あわなくても、私が着たいと思えるなら着る。

「着たいと思うかどうか」は、わたしに合うかどうかも重要なところでしょう。自分が良く見える服を着るのが一番うれしい。周りが実際には良く見てくれなくても、自分が「わー自分良く見えるな、かっこいい」って思う服がいいじゃないですか。

逆に、周りが「かっこいいじゃん」って言ってくれたとしても、自分が「自分にあってない……」と思うような服は着たくないですね。

自分が「周りからもこれで良く見えるはずだ」と思っている服を着るわけですよ。
自分だけが気に入ってても、他人がすごく押してくれてもなんかちがう。自分も気に入ってて、他人からも良く見えるだろうこれなら……というものを着る。


ここまで言ってしまうと、私の服を見た人が「あいつはアレを自分が良く見える服だと思って着ているんだな」と思いすぎるかもしれないので、一応言っておきますと、「買える範囲内で」という条件が付きますので、「買えて、持ってる中ではまだましなほう」っていうぐらいの恰好で出歩いていることがほとんどです。


捨てた服2番目の、着心地も良くないのになんでか15年ぐらい着ちゃった冬ものっていうのは、本当になんだかよくわかんないんですけど、ちょっとデザインが変わってた(かつ、派手じゃなくシンプルな)のでちょこちょこ着ていました。

1500円ぐらいだったからもっと早く捨てても良かったんですけど。
だって明らかに袖も丈も短く、袖を通すときに苦労するタイトさで、肌触りが良くなかったんです。下になんか着こんじゃうとすっごくきついし、上になんか羽織ると硬くて動きにくいって言うか。

わるぐちばかりですね。でも表面の素材が不思議と長持ちして、特に汚れもない(濃いグレーだから目立たないんだろう)し薄くもならないし、毛玉もできないので捨てるタイミングを失っていました。

でもとうとう冬の間着ることが無かったので。さようならです。

ああ、次の洗濯にまわしちゃったけど、毛玉だらけのセーターも捨てようかな。

服を減らしたい。ほかの文具、雑貨、本に比べて服に対する愛がない。
ただ洗濯が好きじゃないので、枚数無いとすぐ着るものが無くなるという理由でちょっと多めに(でもたぶん少ないほうだと思う)服を持っている。今年は減らそう……

買ってみたものの、都合があまりよくなくてなかなか着られていない服とかも思い切って捨ててしまおうか……