【映画】ミッドサマー見た【ネタバレあり見た人向け感想・覚書】

ミッドサマー

amazonプライムビデオの見放題対象になったので「ミッドサマー」見た。

ミッドサマー
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【ネタバレあり・見た人向け感想・覚書】

見た人向けなのであらすじをまとめて書いたりはしません。

ネタバレ感想だけどそれでいいかなって思う。ネタバレってあらすじを書くよって事じゃないし、まだ見てない人は見てからここの感想を読んだほうがわかりますよ。見てないで感想だけ読んでも何のことやらでしょ。

あといつもながらとっ散らかっています。ほぼ自分用メモ。


amazonレビューでは、低評価のひとは「ヒロインが精神的に不安定すぎてイライラする」って人が多いけど、わたしは良かったと思うな。ホラーとかスリラーとかって、なんか陽キャのパーティーが行っちゃいけないところに突っ込んでって「あーあ、ほらね、」って感じになるイメージがあって(具体的にどの映画で見たかは思い出せないのだが……)、そうじゃないところが新鮮だった。

でも、つらいことが続いたし、彼ともうまくやりたいからって、あんまり歓迎されてない旅行にくっついていくのはなかなか無神経というか……普通気が付きそうじゃない?「彼はいいとしても、友達になんかウザがられてるな」みたいなの。

ヒロイン・ダニーが味わった冒頭の不幸は、「どこか遠くに行って気分転換したい」「これ以上人間関係で別れを味わいたくない」っていう気持ちになって旅行に行っちゃう動機としてはわかるなーっと思った。

途中で何度も家族の死がフラッシュバックするのもわかるし、彼氏のクリスが「いまダニーに別れ話するのはまずくね?」みたいな気持ちになって、もう気持ちは離れてるのに切り出せないのもわかる。

友人・マークはチャラくて悪事ばっかり頭の中にある感じの青年だけど、クリスに言った言葉とかでダニーとの関係がどんな感じなのか、ダニーがどんな女の子なのかちょっとキャラがわかるような気がした。マークがチャラいので相対的にクリスはまだ誠実な方かな?とちょっと思ったりする。でもクリスはとにかく優柔不断なので、ヒーローにはなれないよねという感じ。


友人の地元の珍しい祭りに招待されて行ってみたらあまりに文化が違いすぎてショックを受けるよそ者たち。

話が逸れますが、中南米の文化の話を聞いた時に、「今の我々の価値観や宗教感で、他の土地の文化を残酷だとか野蛮だとか断じてはいけないだろう」という解説もあって、生贄や死者の弔い方が「私たちの文化と違う」からと言って残酷で下品なわけではないとはわたしも思っているんですよ。

でもショックはショックだよね……前もって解説があったらよかったのかな。でももう「よそ者」たちは「よそ者」としてまつりの儀式に巻き込まれており、見学者とか傍観者じゃなくて「参加者」になってたわけだからね。本人たちはそうは思ってなかったと思うけど。


映像は(たぶんあえて)チープだったけど、視聴してる私にとってもショックだったなあ。いま私だいぶ安定してるしいろいろ平気で太いタイプなので「あーらら」ぐらいの感想で大丈夫だけど、ヤバイ時に見てたらヤバかったな。ショックな映像とか展開の物語を見たときは、最後まで見た方が私の場合は精神の安定に良い。だってショックだったからってそこで止めたらその件が全く解決しないじゃん……


最初の儀式は土着の宗教っぽくて凄いなあって思ったけど、その後の儀式の数々はちょっと宗教としての説得力が薄れてきて、グロさに振ったような気がしちゃうな。

「とにかく理解できない、野蛮なことを文化だと言ってやってる人たちです」って感じがちょっとあるというか……

あと「神」的な存在は描写されてないね。その辺気になる。日本人としてはいろんな宗教の神の考え方になんとなく理解を寄せられるが(本質的に、物心ついてからずっと「絶対」と信じているという気持ちについては100%理解できないと思うけど)もともと自分の中に宗教を持っている人は、他の宗教の「神」をどうやって描くんだろう?その辺の研究もありそうですね。ちょっと調べてみるかなあ。

 

クリスに救いは無かったね。っていうか結構無理やりあんなことやらされて、男女が逆だったらあんまりにも悲惨なのに、やっぱ男性だと主体性が男性にあると言われちゃうのかな。薬をかがされてって状況だともう自分の意思じゃなくて、「無理やり」と変わらないと思う。だからその点を最後にダニーに「許されなかった」としたらかわいそうだ。それだけじゃないと思うけど。

特に、もともと文化人類学を研究したいと思ってこの村に来たジョシュという友人がいながら、クリスまで「この村のこと論文に書きたいな~」とか言い出すのは、ジョシュがむかついたり焦ったりする気持ちがよくわかった。もしかしたらジョシュに一番共感したかもしれない。だってクリスひどいよ。ここまで別に興味なくただついてきただけっぽいのに、急にやる気出た感じでジョシュと同じテーマで、同じように見たもののことを論文に書いて提出しよう!協力して!とか、ジョシュが「ハア!?テーマ見つけるところから俺がどんなに苦労してると思ってんだよ」って思うのは当たり前だし、焦って独自の資料を入手しようとしてしまう気持ちもわかる……クリスはそういう、神経質に見えて無神経なタイプなんだろうなあ。ダニーも今まで傷ついていそう。最初の電話でも「君は妹を甘やかしすぎだ」みたいな的外れなアドバイスしてくるし。

ということで、ジョシュ以外にはあんまり「ひどい目にあって、かわいそう」って気にならないんだよね。ジョシュについては「研究対象を誤ったね……」という同情の念が浮かびます。

みんなをこの村へ招待した留学生・ペレは「個が薄い村」の中で唯一識別できる登場人物だが、それでも自分のことを「個人ではなく、この村の一員、みんなの一部」と思っているテイで接してくる善意と笑顔が恐怖でよかった。彼が言う「両親は炎に包まれて死んだ」は例の儀式と関係があるのかな……

ダニーのつらい経験や悩みは、ダニーが「個人」すぎるから起きてるとも言えなくはない。だから村の一員として、「みんな」の中に溶け込むのが最良だったかもしれないね。そう考えると救済だな。

なんどか途中で出てくる、感情の高ぶりによる叫びを「アーッ!!」っとみんなで真似して叫び続けるのはよかった。つまり「強制的な共感」だよね。反応を同じようにオウム返しにすることによって、たぶん最初は共感できない感情も、叫びを返していくうちにだんだんすり合っていくし、返されてるうちに薄れて環境の中に充満して取り込まれるというか……説明が難しいのですが、それぞれの考えにかかわらず同じ反応を返すというのは強制的に一体感を得るためのひとつの方法だと思うのです。 みんなでおなじ言葉を唱える、同じ歌を歌う、同じ動作で踊る、これらは一体感を得る手っ取り早い方法で、そこで洗脳したり考えを誘導したりすることは容易になると思うのです。だから誰かに「そうされたとき」は要注意ですよ。深く伝わり、つながったという錯覚が生まれやすいと思うので。


感想まとめ

ホルガ村の人々に「個人」がないかんじの描写だったのが良かった。留学生で元々友人だったペレ以外の人は名前も立場もよくわからないまま話が進むが、そこがいいと思う。個人との触れ合いがあったら、そこでのやり取りで村を脱出したり、思惑があったりという展開がありそうだけどそんなことは無いし、「一人の指導者が権力でしたがわせている儀式」じゃないところが、逆に「逃れられない・突破口がない」という恐怖の演出になっていたと思う。こういう大きな渦に巻き込まれたら逃げられない。

宗教・文化のズレの恐怖っていう点では、もう少しリアリティがあったら怖かったかもなあ。最近amazonプライムでドキュメンタリーカルト集団と過激な信仰を見ていたためか、実在する理不尽で逃れられず流されて後悔したりトラウマを抱えた人たちの話と比べると、ちょっと違和感がある。まあ事実は「事実だ」っていうだけで怖いし不安にさせるので、物語と比べてはいけないといつも思ってるんだけど、だからこそ、物語だからこそ事実をとびぬけた怖さを生み出せると思ってるから、「もう少し」を期待してしまう。

 

なんだかんだ言いながら、映画を見た後に調べてしまったアレコレはこんな感じ。

Ättestupa – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%84ttestupa

棄老 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%84%E8%80%81

ペイガニズム – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

Paganism – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Paganism

投稿者: AchiFujimura

Blackstrawberry.net管理人藤村阿智の日記と言うか雑記的なページ