2019/7/22 

大きな事件があって、それの報道や世間の反応を見ていると、だれがだれをころしたのか、どんなひとが死んで、その未来はどういったものがあって喪失したものは何なのかを大きく扱って悲しんでいるのだけど、どうもつらく感じてしまう。

死んだ人が生きていたら何をなしたのか、これまで何をしてきた人なのかでいのちの価値がかわるわけではないのに、と考えてしまうから。

このあととくに何をなさない人でも、いままでただ年齢を重ねてきた(ように見える、だれもその人のことを語ってくれない、証拠もない)人でも
無差別に殺されていいわけではない。


私がひねくれているとは思うし、言われていない言葉を勝手に受け取ってつらい気持ちを生み出しているだけだというのもわかるのだけど、言葉は一つの方向性を示したときに、必ず「発しなかった言葉」がその裏側に生まれてきてしまうのも本当のことだと思うのだ。そこに選択があるのだから。

文字を綴って自分の思いを伝えることができる人間としてはいつも、選んだ言葉、選ばなかった言葉、その意味を考えて生きていきたいと思っている。

2019/7/19 古くて不便なものの良さが説明できない

タイトル通りです。

古くて不便なものの良さが説明できない。

これだけでは私が感じている「説明できないな~」というもやもやが表現できていないので、以下で詳しく書き連ねていきますよ。


■物やシステムは日々進化していきます。昔のものより、今のものの方が良いことが大半です。「昔はよかった」というつもりはありません。

■素朴でいいなあ~ などというつもりもありません。

■今のものは、私が気に入っている「古いもの」と同じ機能をもって、さらに機能が追加されています。

■とうぜん、今のものを持っていれば「古いもの」を持っていることとイコールになるわけです!

■しかしなぜか古い物のほうが使いやすくて、新しいものに移行することが出来なかったり、古いものを捨ててしまうことができない気持ちがあります。


たとえばなしみたいになってるのは、ひとつ「コレ!」っていうものがあるわけではなく、いろんなものについての話だから。ひとつひとつを見れば手放せない・なんか使っちゃう理由は説明できるものもあるし、好みの問題・慣れの問題とぶった切ることができるものもあります。

もやもやしちゃうのは、進化したものを使えばいいのに昔のものを使い続けていると、「おいて行かれている古い人間」と思われがちだし、自分でも「頭が固くて、このままじゃ自分自身も古くなるんじゃないか……」という心配がわいてきます。
新しいものをガンガン使ってる人もかっこいいな~と思ったり。

また一方で、使い慣れたものに多少不便な点や、新しいものだともっとすごいことができる点があっても、大事に一緒にやっていきたいなっていう気持ちもあるわけです。不便で制限がある中、工夫して克服したその技を持って、たとえ結果が同じで工夫や克服に意味がなくてもそれを使い続けたいという気持ち?


具体的に私が使っている、「新しいものには内包されているから古いものは無くなてもいいと思われがちだけどちょっとやっぱり違うんだよなって思っちゃうもの」は、

電卓(エクセルやスマホやいろいろほかの計算方法でいいじゃんっていわれるけど、でもでもっ)

鉛筆、アナログ画材(そりゃ手描きの良さってのは言えるけど、冷静に考えるとCGだってコンピュータが描いてるわけじゃなくて手描きなのだ。だったらいろんなタッチが使えたり、やり直しができる分CGのほうが便利だし、自分でもそう思う。でも鉛筆やアナログ画材には確かな良さがあると思う、しかしうまく言葉にできない。そして自分はどっちか選ぶならCG派なのだ)

ソフトウェア(過去バージョンのできたことは大体新バージョンでもできる。最新版にすればすべて便利になっている、はずだが、いつまでも昔のソフトを使いたい。理由があるときもあるし、工夫で何とか出来ているのを変えるきっかけもないと言えばそうかもしれない)

こんなかんじです。