サンタ病

 この世の中にいろいろな病気はあるけれど、私の病気はほかに例が無いという。
背中の皮が袋状に大きく垂れ下がり、中から木製のオモチャが出てくるようになったのは
私が三十三歳のころだった。
 とても信じられない症状だが、実際に目で見てみれば信じざるをえない。
医者も驚いて最初はじろじろと検査をしていたのだが、原因や治療法どころか、仕組みも分からない。
このまま経過を見ましょう……と言うだけだった。

 困ったのはオモチャの排泄だ。月に二個ぐらいのペースで袋にオモチャが形成されるので、
一年も経つと袋はパンパンに張って痛くなってくる。何より、重い。
出来上がったオモチャをすぐに袋から取り出すと、代謝されたと思うのか、早々に次のオモチャが
作り出されるので、取っても部屋にオモチャが増えるだけだ。

 大きな背袋を布で隠し、私は家で仕事をして暮らす事にした。国からも補助金が出て、
病院で精密検査を受ける代わりに生活は保障されていた。
年に一度はオモチャを全部取り出して、病院で燃やす作業をしなくてはならなかったが、
ある年、私はオモチャを燃やしている途中で気分が悪くなり倒れてしまった。すぐに検査が行われた。

「良心が形成されていますねえ」
「良心ですか?」
医者の言葉に、私はワケがわからず繰り返して問うた。
「肺と、心臓の間に小さなこぶが出来て光っています。どうやらコレは良心で、
アナタがオモチャを捨てると良心が痛むようですね」
そんなに良い人間だった記憶も無いのに、私は私が排泄したオモチャを処分すると
良心が痛むという。どうすればいいのか。オモチャ御殿を作って飾るしかないのか。

「子ども達にあげたらどうですか」
「子どもはいまどき、こんなもので遊びますかね」
「小さな子どもなら素直に喜ぶでしょう、私も好きでしたよこういうオモチャは……
どれ、一個、私の子どもにも持っていきましょう」
後日聞いたところによると、医者の六歳になる子どもは私のオモチャを喜んだようだ。
適正に処分された結果、私の良心は痛まなかった。
むしろ、良心のあたりに暖かいものが広がっていくのを感じたのだ。

 私は積極的に、私のオモチャを配り歩くことにした。
しかし喜ぶ年頃の子どもは親と一緒に歩いており、親は私のような中年の男が近づいて
オモチャを与える事を良く思わないようで、オモチャを受け取ってくれる事はほとんどなかった。
知り合いでオモチャをもらってくれる人も限られている。

 悩んだ挙句、私は毎年十二月にオモチャを配る事に決めた。
サンタの格好をするのだ。不思議なもので、サンタからのプレゼントとなれば、
親も不審がらずに「よかったね」などと子どもの頭を撫でながら「どうもすいません」などと
私に礼を言うのだ。

 そんな生活を三十年近くつづけ、私は六十歳になり、病気はますます重くなっていた。
ここ数年でオモチャの生成量は増え、今年は背袋に百三十六個たまった。
こうなると起き上がることも出来ず、十二月のクリスマスの時期までは寝たきりで
寝返りもままならないまま、オモチャを抱えているのだ。
十二月になれば、国の援助を受けて、外国へオモチャを配りに行く事が出来る。

 不思議なもので、一時は疎ましく思っていた背中のオモチャのことも
「もっと子どもが喜ぶようなオモチャにならないものか」
「私自身が配れなくなったらどうしようか」
「今年はどの国で子ども達に配ろうか……」
などと、日々の楽しみになってしまっている。

 私は身も心もすっかりサンタになってしまったのだ。


end

(c)AchiFujimura 2007/12/8



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