瓶詰鈴虫

 ここに瓶詰めの鈴虫が四匹おって、飼い主の癒しのために日々翅脚をすり合わせているのです。

 瓶は直径十センチ・高さは八センチ程度の大きさで、半分ほど土を詰められており、その上には
鈴虫の好物であるところの、キュウリとニボシが串に刺さって与えられていました。

 瓶は薄暗い書斎の、書見台の左隣に置かれており、夜になると静かな部屋の中で、
リリーリーリーリー リリーリーリーリー
と澄んだ美しい音が香るのです。

 また、この書斎には一匹のハエトリグモがおって、部屋に迷い込んだまでは良かったものの、
食料となる虫の少ないことに閉口しておりました。
食料の気配を追って、クモが机の上を飛び回っていると、食べがいのありそうな虫が四匹見つかりました。
クモの攻撃範囲に入っても、四匹の鈴虫は逃げようともしませんので、クモは「しめた」と八つの目を光らせました。
ジリジリと近寄り、鈴虫の背後へ回り込み「いまだ」と飛び掛りました。
しかし鈴虫には届かず、少し手前にある壁のようなものにぶつかってしまったのです。

「なんだい」
「なんだい今のは」
「なんだったんだい今のは」
「なんだろう今のは」

四匹の鈴虫は振り返りました。
「ああ、アレはたしかクモとか言う虫ですよ」
「私たちを、食べるって言うアレね」
「おそろしい生きものだな」
「いや、よく見れば顔が滑稽だ」
クモはまだ、なにがおきたのかよくわからなくてきょろきょろ、ばたばたとしていましたが、
鈴虫たちはくすくす笑います。

 クモはもう一度挑戦しましたが、やはり見えない壁にさえぎられて、鈴虫にたどり着くことが出来ません。
鈴虫たちは興味深げに近寄ってきて、クモの姿に大笑いします。
クモはバカにされていることに気がついて、カーッと怒りが込みあがりました。
「なんだ、お前ら、瓶なんかにつかまって、かわいそうな奴らだな」 はき捨てるように怒鳴りつけると、鈴虫たちがまたワッと笑います。

「おまえさんこそ、瓶にも入れないなんてかわいそうな生きものですね」
「そんな、広くて恐ろしい世界に放り出されているなんて、誰の愛も受けていないんですね」
「私たちはご主人様に愛されて、癒しの歌の褒美に瓶に入れていただいているのです」
「狩なんて野蛮なことをせずとも、魚を頂戴できるのです」

 クモは、瓶に入っていない自分の幸せを探しましたが、何一つ見つけることができませんでした。
「瓶 それは愛の世界 愛の証」
「クモからも守ってくれた おお、瓶」
「広い世界 仲間とも離れ 食事もままならず」
「どこでしぬるかもわからない 世界より おお、瓶」
鈴虫たちが歌います。

リリーリーリーリー
アハーハーハーハー
リリーリーリーリー
アハーハーハーハー

笑い声が大きくなって、クモは八つの目で周りをよく見渡しました。
この書斎には、実に29個の瓶が置かれ、それぞれに 何がしかの生きものが住んでいました。
魚もクモを笑う カブトムシもクモを笑う 蛍もクモを笑う
瓶に入っていないのは、この部屋でクモだけ。
もしかしたら、この世界でクモだけ。
クモは、笑い声の聞こえないところへ逃げました。
世界は広いのです、逃げ場所だけは無限に広がっているのですから。

end

(c)AchiFujimura 2004/08/29