のび太の心理


 よく、のび太の性格を語るときには「なまけもの」「ダメな小学生」や、
「思いやりがある誰にでもやさしい少年」などと言われます。

のび太がなまけものでダメなことは、ほとんどの人が知っていると思います。
ドラえもんが嫌いな人は、「なまけものでダメなのに、ドラえもんが甘やかしている」という部分が
嫌になってしまうようです。

思いやりがある少年、という性格はドラえもん好きの人がよくいいます。
「映画とかで、友達を助けたり、勇気を振りしぼったりするじゃない。」
……たしかにそのとおりなんですが、いつもやさしい少年ではないのです。
たまに極悪なのび太が顔を覗かせています。「復しゅう時、金儲け時、嫉妬時」に多く見られます。


 そんなのび太の心の中を覗いてみたい…
本当は、「のび太」ってどんなヤツなんだろう?
いろいろな道具で、しずちゃんやジャイアン、スネ夫の欲望や考えていることを覗くことはありますが、
こと のび太の考えていることを…本当に覗けたときはあったでしょうか。
「ムシシ…」と極悪に笑っているときも、声に出して「ムシシ…」と笑うからわかるのであって
心の中で「ムシシ…」といつも思っているかはわかりません。

実は(というほどじゃないかしら)のび太の心の中だけで出来たようなお話があります。
それが18巻の「タンポポ空を行く」です。
これは、のび太と偶然のび太の家で咲いたタンポポとのふれあいの話なんですが…
けなげなタンポポと、のび太のやさしさと成長に涙した人も多いことでしょう。

「ファンタグラス」という道具を使えば、普通は会話が出来ないようなものたちとも
会話をすることが出来る、ファンタジーの世界に行くことが出来るのです。
ファンタグラスを使って、いろんな生き物達と交流するのび太ですが、
「見て見てなまけ者ののび太が。」「雨でもふるんじゃないかしら。」という猫の言葉に気を悪くします。
そこでドラえもんが一言…
「ほんとにネコがしゃべってるわけじゃないよ。 きみが、心のそこで思ってることなんだ。」

つまり、この感動的なタンポポとのふれあいは全てのび太の心の中でおきた出来事なのです。

 この「タンポポ空を行く」の内容を見ると、のび太は
■なまけものの自分は今にきっとこうかいするだろう。
■でも、普段なまけものだから、変わったことをするとろくなことをいわれないだろう。
■苦手にはぶつかっていきたい…でも逃げてしまっている。
■取り残されている自分は、勇気がなくてみんなに出来ることが出来ていない。
■勇気をだせば未来はきっとこわくない、何処かできれいな花を咲かせることが出来る…
などと考えていることがわかるような気がします。

こうして、自分の心と対話することによって成長できるんですね。
手塚治虫先生の「ブッダ」でも、悲しみ、傷ついている人に教えを説いたつもりが
自分さえも知らないことだった…!と、成長するシーンがあります。

のび太も、実は自分の心に気がつかなかっただけかもしれません。
自分が一番知りたいことを教えてくれるのは自分なのに、なかなか気がつく機会がありません。
この「タンポポ=自分」にであったことは、きっとこれからののび太に役立つことでしょう。


←ドラえもんコラム